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 金性寺 上天草市松島町教良木  
 

金性寺記抄

寺 号 淘汰山金性寺
本尊佛 釈迦牟尼佛
両 祖 高祖 道元禅師
太 祖 螢山禅師
宗 旨 曹洞宗 座禅の佛教
本 山 永平寺 福井
     総持寺 鶴見
開 山 中華珪法禅師 山口市瑠璃光寺 十五世
開 基 天草代官鈴木重成殿
     徳川三代将軍家光代
沿 革 寛永十九年 西暦一六四二年開創
     今より三二九年前
     昭和二十五年二月八日 西暦一九五〇年焼失
     昭和二十六年一月二十六日 庫裏再建 二十一世秀光代
     昭和四十六年四月十六日 本堂山門再建立
                  落慶法要 晋山式結制会修行

   右照覧

  昭和四十六年四月十六日
  當山二十二世白雲祖峯謹製

 
 
 

〈金性寺の本堂前にちょっと古ぼけた看板が立て掛けてありました。題意のように、修理の支援を求める看板ですが、前段に寺の由来などが記されていましたので、紹介します〉

金性寺開創三四五年記念平成大修理事業趣意

淘汰山金性寺は、別府―阿蘇―天草―雲仙国立公園―長崎の国際観光ルートの線上に位置しております。

正保二年(一六四五)天領天草初代代官鈴木重成(三郎九郎)の企画が徳川幕府三代将軍家光公のご上聞に達しその允許によって正保四年(一六四七)に建立された曹洞宗(禅)の名刹であります。ご開山さまは中華珪法禅師(山口市瑠璃光寺一五世)であります。鈴木正三殿(鈴木代官の実兄)を開基さまとしております。

以来、宗祖道元禅師の座禅の教えは広く一般に受け入れられ、人々の心の安らぎと壇信徒の先祖菩提の大任を果たして現在に至っております。開創されて実に三四五年の由緒ある歴史と輝かしい禅文化の伝統を誇っております。

 また、当寺には天草新四国霊場が安政五年(一八五八)開創されております。教良木村庄屋植村豊左衛門邦明殿は弘法大師を厚く信仰し、四国霊場を参拝すること前後三回に及び、有難い霊験を得られたのであります。参拝のたびごとに霊場の土砂を拝受して、当地に持ち帰られたのです。当山一七世祖岳超禅和尚の同意を得て、自ら浄財を寄進し、境内の山林を開拓し、その土砂を収め、八八体の本尊石佛を安置して広く信仰を同じくする人々の礼拝所とされたのであります。その聖業は天草新四国八八ヶ所本霊場として大いに信仰を集め、霊験あらたかな仏縁を求めて参拝する人の絶えることがありません。

 由来、大師のご正忌旧暦三月二一日を中心に前後四日間をご縁日として、遠近老少の別なく、万に及ぶ参詣者で広大な境内(約二万坪)を埋め尽くすほどの盛大な弘法大師大祭として現在に伝えられております。

また、全山はいろどりのゆたかな自然林と草花におうわれ、四季おりおりの風光を楽しむことができます。

 以下略

 平成四年四月吉日
  熊本県天草郡松島町教良木
   淘汰山金性寺二二世住職 
              上田祖峯
   同壇信徒総代会責任役員代表
              山下幸雄



    ハス
 
 知里の曙(ちりのあけぼの) 
 
ハス

 品種名 知里の曙(ちりのあけぼの)

 金性寺二十四世田中省吾方丈の普山を記念して、東京大学生熊調和農学機構で作出され栽培されていた新品種を譲り受けて移植しました。
 ハスにはアジア系と南北アメリカ系があり「知里の曙」は二種の交配で生まれました。
 花弁先の紅色はアジア系、基付近の黄色みはアメリカ系の形質を受け継いでおります。夏の初めから終わり頃まで次々に、蕾の茎が高く伸びて葉の上に綺麗に咲きます。花は早朝に開き正午頃には閉じますが、開花一日前は半開きで二日目に全開して三日目には受粉した茶色の雌しべが見られます。花弁が落ちた花托は形から蜂巣とも呼ばれて、その姿を楽しめます。
 平成二十四年四月  
 
     近松門左衛門の庵址