天草最初の殉教者 アダム荒川 天草市本渡 殉教公園
本渡殉教公園
アダム荒川碑
アダム荒川は、天文21年(1552)頃、長崎県島原半島の有馬生まれと言われ、1590年代には志岐の教会に伝導士又は看坊として勤めていた。 慶長19年(1614)キリシタン禁教令により、志岐教会のガルシア・ガルセス神父が国外に追放されるとき、神父は、アダム荒川に志岐の教会の世話を頼み天草を去った。 アダムは信者の世話に力をそそぎ、幼児に洗礼を授けたり、病人を見舞ったり、人々を励ましていた。やがて、迫害が厳しくなり、アダムは役人に捕らえられキリスト信仰の棄教を命じられる。しかし、さまざまな拷問を受けながらも信仰を守り続けた。このため遂に慶長19年6月5日志岐の刑場で処刑された。 |
アダム荒川殉教の地(推定地) 苓北町富岡
富岡城の北側にある。