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天草コレジヨ  天草市河浦町一町田







 

 

 天草の町と呼ばれたここ河内浦には、当時わが国唯一の宣教師養成のためのコレジヨ(大神学校)1591年から97年までの7年間存在した。その教育は、当時世界の名門校コインブラ大学のペトロ・ゴメス執筆の「天球論」が教材として使用されていることからもわかるとおり相当程度の高いものであった。またこのコレジヨには、1591725日、その前年に帰国して豊臣秀吉にも面接した遺欧使節の四少年達が、コレジヨ創設者ヴァリニヤーノ神父にともなわれて入校している。さらにこのコレジヨにはノビシアド(修練院)が併設されていて、そこでは遺欧使節等がヨーロッパから持参したグーテンベルグ式金属活字印刷機を使って、イソップ物語や平家物語、ラポ日辞典等文化史上世界的に注目される貴重本が多数印刷出版されている。





遺欧少年使節
上左 中浦ジュリアン
上右 伊藤マンショ
下左 原マルチノ
下右 千々石ミゲル







遺欧少年使節


 遺欧少年使節巡察師のヴァリニヤーノ神父は、日本におけるキリスト教を盛んにする為、大友義鎮・有馬鎮貴・大村純忠等の親戚にあたる伊東マンショ・千々石ミゲル・原マルチノ・中浦ジュリアンの四人を選びローマに派遣した。 彼らはメスキータ神父にともなわれ、1582年から8年をかけてヨーロッパ各地を廻り、殊にローマでは教皇グレゴリオ十三世およびシクスト五世の戴冠式に招待される等盛大な歓迎をうけた。
 この図は当時のドイツの新聞号外
(京都大学附属図書館蔵)からとったもので上段中央はメスキータ神父である。彼らが帰朝後当時のコレジヨに学んだことは注目すべきことである。天草コレジヨ、天正少年使節にかかる史料は、天草コレジヨ館に展示されています