古搭・板碑
亀川古寺古塔群 天草市亀場町亀川 旧亀川中学校上
本渡市指定文化財
亀川古寺古塔群
指定年月日昭和33年5月1日
管理者原田会
五輪塔6基、宝筐印塔1基があり現在地の100m南方、古寺と呼ばれる畑地に散在していたものをここに移し組み立てたものである。
鎌倉時代この付近には天草氏の菩提寺である来迎寺が建てられていたが正和2年(1313)領地をめぐり争っていた志岐氏の本戸(本渡)侵入のおり焼き払われ廃寺となった。
現在は古寺という地名と7基の古塔だけが残っている。
本渡市教育委員会
五輪の塔 天草市新和町大宮地
新和町指定文化財
五輪の塔
新和町は鎌倉時代に菊地氏の一族宮地弥次郎の領有で、その子孫代々宮地城にあって約200年間統治している。その宮地氏の菩提寺と考えられる大宮地西光寺跡の境内と、それより少し離れた山中に31基の五輪塔群がある。時代は鎌倉期のもの2基、あとは室町期に至る形式のもので、宮地氏ゆかりの五輪塔にまちがいないと云われており、昭和50年2月町文化財に指定、保存されている。
南梵字板碑と礎石 天草市本渡町 染岳霊場
《註》□は記号、
写真参照
本渡市指定文化財
南梵字板碑と礎石
指定年月日 昭和49年3月19日
管理者 中村二人
もと沖の浜、新地の溝の中にあったもので円の直径50cm厚さ12cmである。一種の供養碑で中央の5つの梵字は、□(空)□(風)□(火)□(水)□(地)の五大をあらわし周囲の25字は光明真言の経文の一部を示し、これによって菩提を得んとするものである。造刻の時代は明らかでないが中世のものであろう。
本渡市教育委員会
立浦の板碑 天草市楠浦町立浦
本渡市指定文化財
立浦の板碑
指定年月日 昭和49年3月19日
管理者 楠浦町立浦西区
このあたりは寺山と呼ばれ古い寺があったところである。この板碑は信心深い老夫婦が存命中受戒して死後の安楽を願ったもので、中央上部に阿弥陀如来坐蔵、その下に碑文、右に男、左に女の戒名が刻んである。碑文は金剛般若経からとり、建立は天文8年(1539)2月になっている。
本渡市教育委員会
尾越の板碑 天草市舟之尾町 祗園橋近く
本渡市指定文化財
尾越の板碑
指定年月日 昭和33年5月1日
管理者 船之尾地区
当時、志岐氏に本渡を追われていた天草氏は、父祖の故地本戸を回復せんものと享禄3年(1530)これを阻む志岐氏と町山口川を挟んで対戦、遂に本戸城を奪回した。その一周年に当り、本戸洞慶寺の桑牧は、百余人の僧を集めて大供養を行った。その供養碑がこれである。
本渡市教育委員会