尼港事件殉難碑 天草市五和町手野 東明寺(裏)
尼港とは"にこう"と読む。
漢字で書きますから日本の地名と思いきや、実はロシアの地名である。正式には、ニコラエフスク・ナ・アムーレ、略してニコラエフスク。シベリアのアムール川河口の小都市である。
1920(大正9)年、第一次世界大戦の末期にこの事件は起こった。
この事件の背景は、世界大戦、ロシア革命、日英同盟、シベリア出兵など複雑だ。そしてこの事件を大きくしたものに民間人の存在がある。
当時、尼港には400人ほどの民間人が住んでいたが、ロシア革命の嵐の中で、パルチザンの手により、大半の人が虐殺された事件である。
この事件で殺された日本人は、外務省の資料によると、民間人292人、軍関係387人、領事館関係5人の684人という。
このうち天草出身者100人余(資料により数人の食い違いがある)が犠牲になった。この人々を慰霊するために、遺族の手により建設されたという。
また、慰霊碑は、長崎、山口、茨城、北海道にもあるという。
事件の経過を記すと長くなる(本当は分からない)ので、興味のある人は調べてほしい。
ひとつだけ、パルチザンについてネットで調べたので記す。
パルチザン(フランス語)
戦時に、武装した一般人民によって組織された非正規の戦闘集団。多く正規軍と連携しながら遊撃隊として活動する。別働隊。
[goo辞書]
パルチザン部隊とは、ソビエト連邦がモスクワ放送などで指揮した、共産主義のゲリラ部隊。
ドイツとの戦争中に結成されたのが起源とされている。
[ウィキペディア]