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散歩道
◇通潤橋
Let's 不思議!第29回公開セミナー *主催 熊本日日新聞社 九州東海大学*が「通潤橋が語る石橋の不思議」と題して、2004年5月15日、九州東海大学で開催された。
このページでも、石橋について掲載しているように、石橋には興味をもっているので参加した。
講師とテーマは、
「生命の水を渡しつづける通潤橋 〜棚田を潤して150年 通潤橋2004〜」 矢部町町長 甲斐利幸
「アーチ型の石橋は、なぜ落ちない?」 九州東海大学工学部都市工学科教授 右田泰弘
甲斐矢部町長は、通潤橋をシンボルとして町おこし、町の活性化をどう図るかと観点で、通潤橋を造った布田保之助の功績を紹介する話であった。
布田保之助は、矢部町手永の惣庄屋である。彼は、水が無く耕作が不可能だった白糸大地(118ha)に水を供給するため、前代未聞の石橋による水路を作ることを考え、かつ多数の困難を乗り越え完成する。時は、江戸時代末期、竣工1854年(嘉永7年)である。
まず、着目すべきは、これだけの土木工事を、一介の庄屋が企画、立案しそして施工、完成させたことである。
庄屋が村の中で財力、権力を相当持っていても、なかなかできるものではない。天草にも、天草市楠浦町に庄屋、宗像堅固が施工した楠浦橋があるが、ここの通潤橋は規模からも施工技術からしても到底その比ではない。
まず、橋を架けるというアイデアさえ、普通の人にはなかなか浮かばないであろう。
さらに、企画立案はすばらしいが実践が伴わないという、企画倒れも多い。
この橋の施工にも、技術面からだけでも相当の困難が伴ったわけである。彼は、それを先進地へ技術習得を学びに行くことから初めた。先進地といっても、こんな大規模な石橋はない。それを補ったのは工夫である。すなわち研究だ。
いやいや、この話をしたら長くなりそうなので、布田公の功績はこのくらいにして、石橋の工学的な面を話してみたい。
といっても、私はまったくの素人、技術面の話はできない。
ただ、疑問に思っていた、「石橋はなぜ落ちない」このことが、この講座で知りたいことであった。
講義では、模型を使って話をしてもらったので、なんとなく理解することができた。簡単に言うと、石橋の内側(下面)が円であるということ。この正円形が落ちようとする隣の石を支えあい、落ちない力学が働いているということ。頭ではそこそこ理解しているつもりでも、話すとなると難しい。
興味のあるかたは専門書でも紐解いてみてください。