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下浦石工の由来 天草市下浦町
私たちのふるさと本渡市下浦町は、昔から下浦石と呼ばれる石材の産地で石工が育ち「石工の里」として石工文化が華開いた。
 下浦に石工が根を下ろしたのは宝暦10年(1760)元肥前の国藩士松室五郎左衛門という浪人が故あって下浦石場に移り住み、村人に石工技法を伝えたのが始まりだと言われ五郎左衛門翁の墓碑も下浦石場地区に現存している。
 五郎左衛門翁の石工技術は地元石工に受け継がれ、明治、大正、昭和から平成と時代と共に盛んになり、最盛期は300人の石工を数える程の隆盛を見た。天草、熊本県内は勿論、九州一円の石工の大半は下浦出身で占められている。その代表的な作品が県文化財に指定されている本渡市の祗園橋や楠浦の眼鏡橋、更に長崎オランダ坂の石畳を初め、各地の鳥居、墓碑など、日本が誇るすばらしい石の文化遺産がある。
 こうした先人の輝かしい業績を称えると共に、今後の更なる発展を願って、ここ下浦の要所に「石工発祥の地」の記念碑を建立し、その名を永遠に止める。


平成8年12月
 本渡市下浦石工組合


《註》県文化財に指定されている本渡市の祗園橋は平成9年12月3日に国指定重要文化財にしていされている
下浦石工発祥の碑
 下浦町の入口、国道266号線に建てられています。

下浦石工元祖松室五郎左衛門の墓  天草市下浦町
天草市指定文化財
下浦石工元祖
松室五郎左衛門の墓


  指定年月日 昭和59年1月9日
  管理者   石場区

 五郎左衛門は、元肥前国白石の藩士でわけあって浪人し、宝暦10年(1760)頃天草に来て、当地に移り住み石工となった。その後島民に石工技術を教授石工業の発展に寄与し天明3年(1783)に没した。近くの山中には明治18年(1885)花岡大明神が祭られ毎年祭礼も行われている。

 天草市教育委員会
花岡大明神の碑