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久玉城   牛深市久玉町
 

 
 熊本県指定史跡 久玉城跡 
 
 昭和48年3月28日指定
 熊本県教育委員会

 ここは、中世に牛深を拠点としていた豪族久玉氏の居城と伝えられる中世の城跡である。城域は主軸の長さ235m、幅50mに及ぶ規模で、五つの区画を階段状に造成している。最高所に弓状の土塁に囲まれた狼煙台を設け、その北、西、東の三方に腰曲輪、南は堅堀によって堅固な城を形成している。また、中心区画には野面積みの石垣が残っており、近世的石垣を持つ中世城として注目される。


《註》各部所に標柱が建てられ、それぞれ説明がなされているので紹介する。興味のある方は是非現地を訪れてほしい。

米とぎ井戸
 深さ約4m、底部まで石組が施されている。底部は頁岩質の岩盤となっている。夏季の干ばつの際も水がかれることはない。

D石垣
 この部分は、久玉城の入口となっている部分でこの鉤状のD石垣をもつて虎口かためる施設としたものであろう。

家屋定紋跡
 発掘により根石が出土したので、その上に礎石を置き建物のプランを復元したものである。二間×四間程度の萱葺の建物であったと思われる。

御茶井戸
 この井戸水を茶の湯に利用したと伝えられている。

刀研ぎ井戸
 深さ3.75m、底部まで石組が施されている。過去に井戸周辺より、小柄、刀子等が発見されている。

第三郭部
 三つの郭のなかでは最も面積が広く、石垣等の防備体制も完備しており、いわば久玉城の本丸部にあたるところである。城の主要建物が存在したのであろう。萱葺で掘立式の粗末な家屋だったと思われる。

B石垣
 長さ45m、高さ5.1mもあり、久玉浦に面する部分をかため偉容を誇っている。中世の城郭で、これだけの、石垣をもっている城跡は珍しい。49年に石垣の一部を修復したが、その際、裏込石が2m余にもわたって施されていることがわかった。城内各所に見られるこの種の石垣は、野面積と呼ばれる手法によって構築されている。また、石垣の一部に、牡蠣が付着しており、石材は海から運んだことが知られる。

東平場
 城の東側中腹にあり、明らかに削平による平場である。発掘により方形の柱穴跡が確認されているので、当時何らかの城に付随する建物が存在したであろう。

第二郭部
 この部分に建物が存在していたかどうかは未調査のため不明である。三郭とは土橋状の小道によって連結されている。
A石垣
 久玉城の東突端部をかためている石垣で、高さ2.2mを数える。江戸時代末頃、河川工事の採石のため破壊され、現存する石垣は長さ22mにすぎない。

竪堀り
 山の傾斜にそって竪にほった堀というが、当時の場合、自然の地形に若干手を加えて竪堀りとしており、急峻にしてよくその機能を果たしている。

C石垣
 第三郭の東側から北側にかけて、とぎれとぎれに残存する石垣で、崩壊が著しい。その防備かためていたのであろう。

狼煙台推定地
 久玉城北端の標高46mの一番高いところにある。中央部に直径3m深さ10cmの円が掘りこまれており、その真中からは、木炭が検出されている。

蔀土居
 半月形の土居が巡っている。地続きの権現山からの視覚を遮断するためのもので、往時は目隠しのため、蔀植物が植えられていたのであろう。

第一郭部
 久玉城のように、削平された郭が縦に細長く連なる城を連郭式と呼ぶ。この郭は、その第一番目の郭にあたる。