五足の靴文学遊歩道を歩きました
=五足の靴文学遊歩道案内文=
明治40年、若き日の与謝野鉄幹、北原白秋、木下杢太郎、平野万里、吉井勇の五人が天草西海岸を訪れた時に、交互に書いた紀行文が「五足の靴」である。彼等の旅の目的はキリシタンの遺跡を訪れることであった。この旅を転機に白秋が「邪宗門」を刊行したのをはじめ、他の4人もそれぞれ文学の新境地を開いた。一行は長崎の茂木から富岡に渡り、西海岸に沿って徒歩で大江天主堂のガルニエ神父まで訪れている。後年与謝野鉄幹は夫人の晶子とともにこの地を再訪している。
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《好天に恵まれた初春のある日、この遊歩道をのんびりと歩いた。
下田温泉から下田南まで3.2kmが文学遊歩道として天草町により整備されている。道は山道で、途中国民宿舎あまくさ荘の横に出る。更に歩くと今度は国道を横切り、鬼海が浦の集落を通り、笠松公園の入口で終わる。難点は、終点からの引き返し。遊歩道を歩くか、国道を歩いて帰ることになる。複数でニ台の乗用車があれば、終点にあらかじめ一台置いておく事により、帰りがぐっと楽になる。道は間伐材などを利用して良く整備されており、歩きやすい。また、100mごとに残り何キロの案内板があり、目安になる。途中には、「五足の靴」本文(抜粋)の案内板や短歌の石板なども設置されている。しかし、なんといっても数カ所設置されている展望所からの眺め。藍より青い天草灘の絶景は、素晴らしいの一語に尽きる。》
五足の靴文学遊歩道入口 ここの右手に駐車場がある。 先日行った時は、前日雨が降ったためか、駐車場はロープを張り 閉鎖してあった。というのも、駐車場は芝生を貼ってあるのだ。より、 自然にという事で芝生かもしれないが、雨のたびに閉鎖ではなんの ための駐車場なのかわからない。 |
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五足の靴文学遊歩道入口 駐車場の案内板。 鉄幹を除いて皆20歳。昔の人は難しい漢字をよく知っていたのだ。 途中に「五足の靴」の一部を抜粋して、看板を立ててある。すらすら 読める人はえらい。 |
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遊歩道地図 | |
「五足の靴」について |
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行程案内板 約100mごとに設置してある。 |
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遊歩道。むかし、5人が歩いた道は、生活道とはいえ、こんなに 整備はしてなかったに違いない。 せっかく整備してあるが、まだ、この道ですれ違った人はいない。 |
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遊歩道 | |
短歌の陶石板 | |
展望所 雄大な東シナ海が望める。 | |
展望所より国民宿舎を眺める。 | |
鬼海が浦・妙見が浦方面の景色。 |