祇園社 (八坂神社) 天草市船の尾町
国指定重要文化財である衹園橋の名は、この社の前に架けられたことから名付けられたという。 ただし、架橋当時は、ただの石橋と呼ばれていたようだ。それは、架橋記念碑からも分かる。 この祇園社の創立はいつか不明のようだが、鳥居の建立は分かっている。 その鳥居には、次のように記してある。 (右柱) 天保九年 六月 (以下不明) 施主 大和屋龍吉 久屋与一平 (左柱) 神主 大野左近正 庄屋 大谷平三郎 衹園橋の架橋が天保三年だから、衹園橋より後の創建かと思うと、境内に古びた石柱があり、それにはこう記してある。 (正面 ) 正面左右石垣惣村中寄進 (右面) 天保二年 辛卯六月吉日 世話人 有田屋曽平 久屋伊之助 叶屋伊平 (右面) 當村神主 大野左近正 庄屋 大谷健之助 ということは、衹園橋架橋当時にはすくなくとも石段は完成していたことになる。 |
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