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刺神社  天草市栖本町馬場

 
 由来
 
 宝暦十年(1760)時の庄屋、土黒太郎右衛門重友は差原新田の干拓工事に着工したが最後の汐止工事がしばしば難攻して人柱擁立が噂されるに至った。
 この時、工事参加の若い女性お年(とし)さまは足に踏んだ刺が化膿して高熱に苦しんでいたが、自ら申して出て人柱となられた。
 ためにさしもの難工事も見事完成し、一帯の海は美田と化した。
 庄屋重友はその徳を讃え、その名を後世に残すべくこの地に祠を建立した。
 明和元年(1764)旧8月15日、年(とし)神社、通常いげ神さまである。
 爾来、歳月は流れて225年、この間改築も数回行われたが、昭和5年の改築以来、59年を経過し、その老朽化は著しく進んだ。
 また諸願成就の霊験も近郷に広まり、多くの信者から再建の声が急速に高まった。
 ここにおいて、信者3千は、相集い相計らい進んで浄財を寄進し、遂にこの新社殿の竣工落慶を見るに至った。

 昭和63年7月31日        神主  原 田 強




 ※ この刺神社については、 濱名志松著『天草・霊験の神々』図書刊行会 で詳しく紹介されています。