野口雨情歌碑 上天草市竜ヶ岳町 龍ヶ岳山上 |
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阿蘇や雲仙霧島までも 龍ヶ岳からひとながめ |
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これまで道案内の看板がなかったが、立派なものが設置されていた 歌碑は、キャンプ場の手前から入った所にある |
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雨情の歌碑から50m先にある離れ岩からの眺め 樋島方面 | 雨情の歌碑 建設年月や建設者の刻字がない |
牛深遠見山の碑 天草市牛深町 |
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肥後の天草 牛深港 岸に千艘の 船泊る |
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碑釈文 肥後の天草 牛深港 岸に千艘の船泊る 一九二九年(昭和四年)早春の三月 詩人野口雨情は天草に来遊 牛深に泊す 当時の町助役故坂井信次郎氏の依頼により港の出船入船の賑わいを詠んだ詩である 牛深市政三十周年を祝し牛深ライオンズクラブ五周年記念事業として建立す 悠久の大自然に育まれ藍より青きふるさとの海綿々たる歴史の流れの中に輝く未来に向かって 一九八四年二月吉日 牛深ライオンズクラブ |
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天草市倉岳町の歌碑 |
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うしろ倉岳 まえ竜ヶ岳 中の小島は 浮き沈み 雨情 |
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昭和十六年 歌人野口雨情が来熊した時、歓迎会に同席した郷土の歌人丘玲仁(斉藤健吉)が、自身勤務している棚底小学校の校歌の作詞を御願いしたところ、快く引き受け、丘と同道して棚底を訪ねました。 この地に一周間ほど滞在して校歌を作詞する傍ら、棚底をうたった歌も作詞され残された。 ここに、雨情と怜二の歌を刻み、ここにその業績を顕彰するため之を建つる。 平成十八年三月吉日 馬田哲郎 |
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