おたっちょさま(市古木大明神)
永禄12年(1569)ダルメーダがキリスト教布教のため天草河内浦の下田に来た。下田城主天草鎮種信者となり洗礼を受けドン・ミュッセルの教名を受け家老某もレアンの教名を受けた。
これに対し天草氏の菩提寺信福寺の法印は鎮種の弟某を味方につけて反対の火の手をあげ、その勢いあまり盛んであったので家老レアンは口之津に難を避け、ダルメーダもア津に避難した。
ダルメーダは避難後直ちに大友宗麟に書を送り、また鎮種を通じ種々策動したので天草氏の内紛となり、弟某は不意に鎮種を攻めた。奇襲を喰った鎮種は身を以て本渡の城に逃れた。鎮種の奥方「お辰」の方は逃げ遅れた。夫の後を追って宮地岳市古木に来た。追手に迫られ田植え中の女のなかに紛れたが、色白の貴品の容子は直ちに発見され捕えられ斬首された。里人はこれを憐み、市古木大明神として祭った。(以上山腰雅春著「天草郷土史考」より)
なお「お辰さま」が斬首された場所は塚本といい今もなお田の中に空地として残され、祠堂は小高い丘に建てられ毎年四月八日は市古木地区全員、当時を偲んでお祭りを営み、霊を慰めている。
「おたっちょさま」所有品で建武四年(1337)作と思われる備前長刀の一部が当時の宮地岳の元締であった中西親宅に保管されている。
〈註〉 文中のダルメーダはアルメイダのこと
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