散歩道目次 2010/07/11UP


今、天草・島原の乱について勉強中である。
 「島原の乱」 助野健太郎著 東出版 昭和42年5月20日初版発行
 を読み終えたところだ。

 天草・島原の乱に関する著作は多数出ているので、学習資料に困ることはない。
 ただ、乱は幕府軍により徹底的に壊滅されたので、資料はどうしても勝った方の資料が主で、負けた方の一揆軍の資料がほとんどない。
 したがって、真の乱の原因や、一揆に参加した農民たちの立場・心情は分からない。

 逆に、真実が分からないので、歴史は面白いと言えるかもしれない。

 本渡の天草キリシタン館が間もなく新装オープンする。
 今日は、あるつてで、開館前のキリシタン館を見学することができた。
 感想は後の機会に述べるが、設備は立派だが、資料館としてはいまいちという感じも受けた。

 今後、来館者の意見をくみ取り、更に充実した館になることを望む。
 でも、乱後、鬼理支丹(富岡の乱の供養碑)と表現されるほど、むごい弾圧を受け、抹殺されたキリシタンが、世の中が変わったとはいえ、今では観光に利用されている現実を知ったら、当時のキリシタンの人々はなんと感じるだろう。

 設備が立派過ぎて、資料もさらりと展示しているので、人が人を差別し、弾圧し、抹殺した生々しいキリシタン弾圧の様子が伝わらず、真実の歴史を学びたいボクにとっては、不満のあるキリシタン館でもあった。

 さて、写真は、上天草市松島町パールセンターの天草四郎像である。
 右の写真の手前の歌碑は与謝野鉄幹・晶子夫妻の碑、後ろの橋は天草五橋の四号橋である。
 四郎が、今の世に生まれていたら、多分歴史に名を残すことはなかったろうことを思うと、彼は彼で、幸せだったのかなと思う。
 勿論、後世に名を残そうと思って、乱を起こしたことはないのだが。