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新田開発


鑿河碑 釜の迫の堀切  削河碑 天草市楠浦町



1. さても珍らし 楠浦普請 長さ五町に 底五丈
 上で 二十と一間に 高さ九丈の岩山を
 のみや小槌や玄翁や かなてこ やまぎり 雁づめの
 細工に 日々 鍛治五人 六とせの末にて ようように
 いまでは白帆が はしりいる
2. それで田地も 倍ひろまりて たきぎ積み出し 
 こえとりも 船で門まで積入る 田畑作物 稔り増し
 百姓 次第に便利よく 肴は堀切 川筋の
 新規の白魚 青のりや 其の外いろいろ 添えまして
 朝から晩まで 呑みくらす
3. 春は堀切 両山岸へ 桜品々 咲くころは
 吉野初瀬や嵐山 ここに来しかと思われて
 高き賎しき おしなべて 船や 磯辺や 山々に
 朝間夕間のさかいなく 遠ち 近ち 花見に来る人は
 つぼみのうちより 絶え間なし
4. 秋は川土手 楓紅をなして 龍田の詠の そのままに
 風に散る葉の堀切に 流れ落ち合う錦川
 うづまく水に ゆうゆうと 波のまにまに浮かみいで
 四方の紅葉も色そえて 景色いやます 長堤
 むかしにまさる 楠の浦
  (宗像本家記録より)

《註》庄屋宗像堅固の釜の迫堀切の詳しい事を知りたい人は「本渡市史」本渡市発行を参照されたい。







圃場整備の碑
大宮地新田/天草市新和町大宮地》


 内新田約
20町歩は1600年代の万治年間に大宮地村庄屋園田氏により開拓、外新田約20町歩は1800年代の天保年間に宮地岳村庄屋中西氏により干拓されたものであり更に新和町が農業構造改善事業により事業費8,536万円を投じ昭和5137.85ヘクタールの圃場整備を完成したものである。

《註》
1町歩=100アール=1ヘクタール。10,000平方メートル(100m×100m)
20町歩は約20ヘクタール。(500m×500m)












干拓された新田は、現在ハウスが立ち並んでいる。