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大矢野城跡 上天草市大矢野町

         

矢野町指定史蹟
大矢野城跡
昭和52年11月15日(指定日)

 大矢野氏は筑前原田氏の出で遠祖をたどれば漢の高祖を祖とし応神天皇の御世魏の乱をさけて我が国へ帰化した後、漢の後裔阿智王の流れをくむといわれ鎌倉時代当地大矢野に拠ったので大矢野姓を称したものである。
 当城に拠った年代は詳かではないが豊臣秀吉の朝鮮出兵に於て戦死した大矢野種基の代までだと伝えられている。.なかでも大矢野氏の名声を高めたのは元寇の役での活躍である。鎌倉幕府の命により大矢野十郎種保同三郎種村同弟三兄弟は雄躍博多湾に馳せ参じ竹崎季長による弘安の役の蒙古襲来の絵詞にその三兄弟の武勲の様子が記されている。
 昭和8年地元有志の発起により時の総理及び文部大臣を始め全国有志の方々からの浄財をもって当城跡に顕彰碑が建立されたがこの度本町文化財の指定をなし城跡の保存に心がけ大矢野氏の偉業を後世に永く伝えんとするものである。

 平成4年3月31日
 大矢野町教育委員会

大矢野氏関係五輪塔群

(昭和52年11月15日町文化財指定)

 中央五輪塔の火輪(笠部)は県立大矢野高等学校所有を、また地輪(下部)は上、馬場の二神家所有を寄贈して頂き当地に建立した。後列の五輪塔群は、元大矢野町大字中・字迫502番地から移築した。また宝塔は上・馬場上野家所有を移管したものである。

 昭和62年1月吉日
 大矢野町教育委員会