東向寺 松栄山東向寺は、天草島原の乱(1637年)から11年目にあたる慶安元(1648年)に天草初代代官鈴木重成公が三大将軍家光公の旨を受けキリスト教禁制のあと物心両面の安定と教化をはかるため、中華珪法禅師を開山に請し建立したもので、この年の12月13日寺領が与えられている。従って歴代の住持にも有徳の僧が多く13世珍牛・14世道一・15世天中・27世石龍和尚等、当代の高僧として知られている。 伽藍は仏殿・法堂・山門・僧堂・庫院・浴室・東司と七堂伽藍が配置され、西海随一を誇っていたが天保3年(1832)年10月7日失火によりわずかな仏像と記録類を残し全焼した。 現在の堂宇は庫院が嘉永元年(1848年)本堂は文政7年(1860年)の建立であり本堂の彫刻、庫院板戸に描かれた叭々鳥(ははちょう)の図はすばらしい。 本渡市・本渡観光協会 |
東向寺歴代住職の墓 指定年月日 昭和50年6月13日 管理者 東向寺 岡部守信 東向寺は天草の乱後初代代官鈴木重成が建てた天草四ケ寺の一つで寺の豪壮と境内の広さを誇った。又幕府の威光を示すため本堂内陣に家康、秀忠の位牌を祀り、特権が付与されて寺格を拡大していった。 歴代住職の墓は初代を中央に28代まで苔むす石碑が時代の変遷を物語っている。 本渡市教育委員会 写真中央が開基、中華珪法の墓 |
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