目次へ


角山 かどやま 526m 天草市宮地岳町
 ここを左に折れる
 休憩所  ここから登る
 落ち葉でふわふわして歩きやすい登山道 ここらあたりはまだ楽
 クイズ形式の案内板
 官山の水湧水個所
 頂上からの眺め

 角山には国道266号線の長平越トンネルの先から左に入る県道(天草町へ抜ける)の途中から登る道が一般的である。しかし、ここは、156分で登れるという、登山家?にとって面白い道ではない。
 そこで、福連木から登ることにした。本渡から下田へ通じる県道を走ると、福連木の集落へ入る。右手に物産館がある三叉路を左に折れる。この道は河浦町へ通じている。子守唄公園の先に官山の水への入口がある。ここら一帯は遊歩道として整備されている。
 舗装道路が続いているので、ぐんぐん登る。途中2箇所官山の水の湧水点がある。ここで水を補給するのもいいし、持ちかえりお茶や料理につかうのもいいだろう。車の終点に東屋の休憩所がある。車は
3台ほどは停められる。

 道の最初は、丸太や砂利を使って遊歩道として整備されている。自然林の中を歩く。木々に名札をつけてある。シイ、クス、イスノキ、ヤブニッケイ、マンサク、ユズリハ、トリモチ、ヤブツバキなどたくさんの種類がある。感心なのは数カ所の名札をクイズ形式にしてあることだ。この木はなんの木?とふたをしてあり下にヒントを書いてある。フタをめくれば木の名前が出てくる仕掛けだ。ただ、惜しむらくは木が大きすぎて、葉っぱが目の前にないので、樹肌だけで木を覚えなければならないという点だ。

 ここを官山というのは、江戸時代、将軍家に槍の柄として、樫を切り出していたからという。が、どうしたわけか、樫の木にはお目にかからない。
 原生林というには大げさだが、自然林の中を歩くのは気持ちいい。ただ、所々にヒノキも植林してある。
 遊歩道には
200mおきに標識が建っている。600m行くと遊歩道とも分かれ、自然道になる。山頂まで1.7kmの標示がしてある。
 道は、落ち葉がつもりふんわりとしている。露岩もなく歩きやすい。最初のうちは軽い登りなので鼻歌まじりに登っていると、だんだん急坂になってくる。早足で登っているので、息がきれる。

 曇りであるが、時々木洩れ日が差し込む。木がそれほど密生していないのだろう。暗いことはない。大木も結構ある。枯れ倒木も目に付く。あえぎながらもぐんぐん高度を稼ぐ。道下に舗装道路が走っている。長平越から天草町への県道だ。
 道は県道から登ってきた道と合流する。ここを右へ行くと、頂上はすぐそこ。頂上付近の南側は伐採されており、素晴らしい眺望が開ける。
 休憩所から頂上まで約40分。ゆっくり登っても1時間はかからないだろう。
 ここは一等三角点になっている。標識を転記する。

◆◇◆◇

 
一等三角点 角岳
 ここに設置されている標石は、「三角点」と言い、地球上の位置(緯度 経度 高さ)が高い精度で決められています。
 三角点は、私たちのくらしにも密接な関わりがあり、公共事業や地震予知、地図作りを始め、いろいろな測量の基準なる重要なものです。
  北緯 
32度 23分 45秒 366
   東経 130度 05分 46秒 188
   高さ 525.86メートル
  設置年 明治25
  建設省国土地理院
  本渡市

 ◇◆◇◆
 
 頂上からの眺めは、素晴らしい。天草の島々や山々、海が眼前に広がる。雲仙岳も見えるはずであるが、かすみで裾野しか見えないのが残念だ。北側は特に山々が連なる。ここから見るといかに天草が山の島であるかがよくわかる。


 帰りは車があるので、もと来た道を引き返す。下りで注意しなければならないのは、道を間違えない事だ。一本道でないので分かれがけっこうある。何気なく降りていると違う道を降りる事になる。よく、登山者が道を間違えて行方不明になることがあるが、ほとんど降りる時に間違うのではないだろうか。登る時は上へ行くので、比較的間違わないが、降りる時は急いでもいるし、登ってきた道を覚えてもいないことが多い。また、方向を勘違いすることもある。登る時、分岐点には目印をつけておくことをお勧めする。かく言う僕もちょっと道を間違えてしまった。


 帰りは、官山の水を汲んで帰ろう。また、物産館手前に豆腐屋さんがある。ここの豆腐はスーパーなどの豆腐とは絶対的に美味しさが違う。ぜひ、賞味してもらいたい。更に、時間が許すなら、三叉路を左に折れ、下田温泉まで足を伸ばして、登山で疲れた身体をリフレッシュして帰ろう。今でこそ、天草にも各地に温泉があるが、下田温泉こそ天草温泉の元祖なのだ。
 ついでに官山の水に設置してある案内板(文)を紹介しよう。

 
 ◇◆◇◆
 
 福連木官山と官山の水
 福連木国有林のことを俗称"官山"と呼ぶ。
 天草唯一の樫の天然生美林であったこの官山がいっせいに新緑の芽をふく初夏の眺望は人の目を魅了させられ、古くから文人墨客の畏敬の的となった。
 私たちの先祖が官山と呼ぶようになったのは徳川初期からである。棒術なるものが興り、やがて槍術が生まれた戦国の世も治まったころ大阪武士の間に、この山の樫が使われていた。ある時四天王寺に火事が起こり、現場にかけつけた一人の武士が持つ槍の優れていた事が評判となり、それが将軍家の知るところとなったためと言われる。

 またこの天草下島の中麓の谷間より湧水として流れる美しい水、官山の水は、下田温泉(下津深江川)に通じ、西海岸へ注ぎこんでいる。この水と緑に恵まれた福連木官山の自然を大切に保存するように努めることが必要である。
(昭和608月 くまもと名水100選々定)
 
 ◇◆◇◆