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天竺 苓北町 538m
2006年3月某日
再登山記録
会社の熊本の山の仲間が天竺に登るというので参加する。
 宿泊は天草木場の杜自然学校。
前日は五足の靴文学遊歩道を歩く。
 天の川がある登山口に車を止め、そこから歩いて登る。
 途中は省略。
 頂上は地元の人の活動で、前よりもずいぶん整備されている。見晴らしがいいように、間伐もされ、つつじがずいぶん植えられている。
 数年経つと、見ごたえのある頂上となるだろう。手入れが大変だが、がんばってほしい。



 

2003年10月某日


  天草下島の最高峰、天竺は特に特徴のある山ではない。見栄えのする山でもない。独立峰ではなく、連なる山々の一番高いところといった山である。そのため、天草下島最高峰といいながら忘れられた山であった。それが、このほど再開山されたという。
   ある人から再開山されたという話を聞き、好天に恵まれた秋の某日、天竺に登った。

   因みに天草というと、島だけに、山のイメージは浮かばないかもしれないが、内陸部に入るとなかなかどうして、標高は500メートル前後で高くはないが、山々が連なり、まるでアルプスではないかと錯覚するほどである。天草アルプスと呼ぶ人もいる。
 
天竺への登り口は苓北町都呂々木場の県道268号線に数ヶ所ある。
 県道から舗装された道を登ることになるが、今回は時間の関係で、車が行くところまでは車で行くことにした。
天竺登山口の立派な門

 天草市の県道本渡-下田線(24号線)の枦宇土町寺の尾から苓北町都呂々に通じる286号線に入る。しばらく林の中を行くと苓北町に入り、民家が見えてくる。その民家手前の三差路に天竺の案内板が立っている。
  今回はここから登る。舗装された道を登ると、やがて、舗装が切れ、ダートの車道が続く。道の交差個所には案内板があり、迷うことはない。
   林の中を進むと、突然畑や牧場が現われる。車はここまで。車道は山頂まで続くが、民有地のためこれより車両進入禁止の看板がある。牧場には4,5頭の牛が秋の日をあびて、のんびりと草を食んでいた。畑にはイノシシよけの電気柵が設置してある。
 天草にはこのごろイノシシが増え、作物の被害が多発している。その割には猪鍋はないなー。


2006年3月追記
  木場の杜自然学校でしし鍋(ボタン鍋)をごちそうになりました。うまかったです。


  駐車場というほどではないが車は3,4台は置けるスペースがある。
   そこに車を停め、植林された杉林の中を歩く。頂上に近づくにつれ自然林も増えてくる。ダートとはいえ車道のため、山登りというより山歩きという感じである。不勉強で小鳥の名前は知らないが、数種類の小鳥のさえずりを聞きながら、木漏れ日の中を歩く。カラスが声ざわりであるが、興味がある人は、バードウオッチングも楽しめるだろう。

2006年3月追記
 山を切り開き何台も止められる立派な駐車場ができていた。
 この日は、まだ孵って間がないのだろう。一生懸命鶯が鳴き方を練習していた。


ゆっくり歩いても15分ほどで山頂に着く。15分では物足りないので、山登りを楽しみたい人は県道から歩いて登ったほうがいいと思う。距離にして約2km。急坂などもないため1時間はかからないだろう。
 頂上は、間伐などして、ある程度整備されている。「平成15年10月22日設置、天竺山開き記念」の立派な標柱が建っている。トイレも設置してある。しかし、周囲の樹木が邪魔して眺望は良くない。まあ、見えても山が見えるだけで、感動するほどの景色は期待できないかもしれない。
   10月22日以前に登った山の会の看板が3本建ててある。神木か、注連縄を巻いて祀ってある木もある。
2006年3月の頂上付近 2006年3月の頂上

2003年10月の頂上(上)と比べ間伐されすっきりしている


天竺という名前はどうして付いたのだろう。名前の由来を書いた案内板が設置してあればなお良かったと思う。
天の川
 登り口から100mくらいのところに天の川という、ロマンチックな名前の看板が建っている。林の中を小川に沿って500mくらい歩くと、一坪くらいの一枚岩がある。その石の上をちょろちょろと水が流れている。その上にはもう一枚の岩があるが、こちらはでこぼこしている。また、下には竹で水の筧を作ってある。水を飲んでみたら甘くうまかった。
 天竺の観光協会など発行のパンフによると、かつて、修行僧達が天竺を目指し、天の川で身を浄めたといわれているそうです。また、天の川は歯痛の願掛けとして町外から高齢者の方が最近まで訪れていたということです。

 
天の川入口