熊本県指定文化財 山口の施無畏橋 附架橋碑 指定年月日 平成18年5月29日 管 理 者 天草市・無畏庵 施無畏橋は、染岳登山口にある曹洞宗の無畏庵の参道として明治15年(1882)に架けられた眼鏡橋で、下浦石を使用している。口伝では、明治4年(1871)に第一回目の眼鏡橋が出来上がったが、その後崩れ落ち、再建したものが現在の施無畏橋と言われている。 橋は単一アーチで、橋長22.73m、橋幅3.24m、径間12.14m、侠矢(きょうし)3.03m。橋には高欄が設けられ撥型(ばちがた)の束石(つかいし)に手摺(てすり)石を載せている。全体的に壁石が薄く、特にアーチ中央部は、輪石のみで構成されているという特徴があり、昭和50年に市指定、平成18年に県の重要文化財に指定されている。 また、無畏庵の門柱として残されている架橋碑からは、建造年号、世話役、石工、寄付者の名前などを読み取る事ができる。天草の石橋では架橋碑が現存している橋が極めて少ないことから、架橋碑が現存し、その碑文から多くの情報が得られるという点においても施無畏橋は貴重な石橋である。 平成20年3月 天草市教育委員会 <注>文中の「侠矢」は、「拱矢」のことか。 石橋の構造については、熊本国府高等学校パソコン同好会で、詳しい解説が書かれているので、参照ください。 |
<参考>旧本渡市指定時代の橋説明版 本渡市指定文化財施無畏橋 指定年月日 昭和50年6月13日 管理者 本渡市 染岳登山口にある無畏庵の参道として架けられたこの石橋は、最初明治4年(1871)に完成したがその後崩壊し明治15年(1882)9月に再建された。楠浦の眼鏡橋とほぼ同型で橋長22m、幅3m、石材は下浦石である。庵の入口にある記念碑には戸長、出納方、常詰、世話人、石工、寄進者の名が刻んである。 本渡市教育委員会 |