≪参考≫赤崎伝三郎について
◇ 明治4年9月 高浜村皿山の農家に生まれる。
◇小学校を終えると、一時陶器製造などを行う。
◇明治22年春、長崎に出て、ホテルのコックに住みつく。
◇23年、念願の海外への渡航を果たす。
◇上海、香港、サイゴン、ボンベイ、ザンジバル(東アフリカ)を放浪した末、明治37年1月、やっとフランス領マダガスカルの軍港ジェゴスワレズに腰を据える。そこで、フランス軍人相手の酒場を開き、予想以上の繁盛をみる。
◇明治37年2月、日露戦争勃発。苦戦続きのロシアは、バルチック艦隊を日本に派遣。その艦隊が、ロシアの同盟国であったフランス領マダガスカルに立ち寄る。(12月29日)
◇この情報を、赤崎はインドのボンベイにあった日本領事館に打電。日本はこのことは既に承知していたが、一民間人が情報を提供したという事で、海軍首脳部に大きな感動を与える。
◇日露戦争に日本が勝利。
◇酒場は益々賑わいを増す。
◇ホテルジャパンと名付けたホテル開業や映画館開業をなす。いずれも大当たりで、やがてマダカスカル島唯一の富豪と称されるほどの富を築く。
◇昭和4年、事業を仏・英人に譲り帰国。海外へ出て40年後のことである。
◇帰国後は、下田温泉にホテル望洋閣や高浜に豪邸を建てる一方、日本赤十字社に寄付をするなど公共事業に尽くすことを楽しみに、余生を送った。
◇太平洋戦争末期の昭和20年5月、死去。享年75歳
〈資料・『富岡回顧録』田中昭策著〉
〈参考・『新・天草学』熊本日日新聞社〉
|
帰国後、赤崎伝三郎が建てた豪邸。
現在は、白磯旅館になっている。
|