原城址 |
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史跡 原城跡 国指定 昭和十三年五月三十日 原城は、明応五年(1496)、領主有馬貴純(八代目)が築城したものといわれ、別名「日暮城」と呼ばれている。 城は、県下最大の平山城で、周囲三キロめーとる、四一万平方メートル規模をもち、有明海に面して南東に突出した岬を利用した要害である。 城構えは、本丸、二の丸、三の丸、天草丸、出丸などで構成されている。 |
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供養碑 | |||
島原の乱 原城の供養碑 島原の乱10年後(1648)荒廃した原城付近を見た代官鈴木三郎九郎重成は嘆き悲しみ窮状をに同情して首塚と思われる地に供養碑を建て乱当時の死者の霊を慰めると共にこの地の清浄息災五穀豊穣を祈願した 碑文は天草東向寺住職中華叟珪文の撰文である 南有馬文化財保護審議会 |
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碑文PDF、『天草代官鈴木重成 鈴木重辰関係史料集』 発行鈴木神社社務所発行 より | |||
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