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日清
明治27.28年
日露
明治37.38年
戦没者慰霊塔
賛助
合資会社 魚正
浦田宇喜太郎
下関長府 芦原貢
熊本市唐人町 小田翠
岩崎源平
高橋マサキ
横山ユヤ
佐々木栄
謹書 高橋重博 |
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陸軍記念碑
昭和12年7月7日 |
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海軍記念碑
昭和16年12月8日 |
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山本元帥弔魂碑
昭和41年3月吉日
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無縁仏塔戦没者慰霊
昭和41年3月吉日
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以上5塔
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記念碑の裏に刻まれた建立者佐々木ツル
ただし、彼女は自分の名前は刻むことをしなかったというので、後日関係者が刻んだのだろうか。 |
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軍艦長良慰霊塔
昭和45年10月建立
賛助者
川下智一郎
佐々木正巳
北時鉄春
竹中忠義
吉浦大吉
米岡勝
山下中松 |
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巡洋艦「長良」は、太平洋戦争末期の昭和19年8月7日、牛深の約10キロの沖合でアメリカの潜水艦に攻撃を受けて沈没した。
慰霊塔は、その沖合に向けて建っている。 |
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長良には、搭乗員583人が乗船していたが、そのうち中原艦長ほか347人が艦と運命を共にした。
その戦没者の名前を刻んである。 |
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在りし日の巡洋艦「長良」 |
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佐々木ツルさんの顕彰碑
◇碑文◇
この慰霊の丘には佐々木ツル様が護国の英霊の
慰霊の大願の下昭和六年満州事変勃発以来
永年に亘る行商の汗の結晶である浄財を以て
霊域を造成し一基又一基と慰霊碑を建立して
寛政されたものであります
特に軍艦長良に就いては昭和十九年八月七日
大島沖にて其の最期を遂げて以来毎年
洋上慰霊祭を執行して頂いております
古今東西に類例の無い此の慰霊の丘の完成と
維持管理に全身全霊を傾注して来られた
佐々木ツル様の尊い善行を顕彰し其の御名と
御温容を後世に遺す為満腔の敬意と報恩の
心を籠めてこの顕彰碑を建立します
昭和五十六年三月吉日
有志一同
一 昭和四十九年四月六日 牛深市長表彰
一 昭和五十三年四月二十一日 熊本県知事表彰
一 昭和五十三年六月二十二日 厚生大臣表彰
一 昭和五十四年四月二十九日 叙勲六等瑞宝章
◇裏には「かしこしや兵の姿に身をかりて八百神たたかいたまふ」と刻まれている。 |
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