遺跡
大矢遺跡
沖の原貝塚遺跡
大矢遺跡 天草市本渡町広瀬 | |
天草に何時のころから人が住んでいたのか定かでないが、縄文時代の遺跡があちこちに点在することから、かなり以前から住んでいただろうことが想像される。 ここ大矢遺跡もそのひとつ。そのころの天草の姿を見ることが出来たらと思うが、いかんせんタイムマシンは存在しないし。したがって、出土品などからそのころの暮らしなどを想像するしかない。 出土品はくわしい説明とともに、近くの本渡市歴史民俗資料館に展示してあるので、興味のある方はそちらへどうぞ。 |
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土器に稲もみ圧痕 日本で稲作が始まったのは、弥生時代からがこれまでの定説であったが、それより以前すなわち縄文時代にはすでに稲作が始まっていたというのが、現在の定説になっている。 その証拠となるものが、この大矢遺跡から発見されたという。 すでに出土している、土器を福岡市の考古学者が調べたところ、当時の稲作の存在を示す稲もみの圧痕がついていたというのだ。 時代は縄文時代中期(約5000年〜4000年前)という。 また、この発見はこれまで最古といわれていた、岡山県の遺跡よりも1000年以上も古いという。 |
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熊本県指定 大矢遺跡 指定年月日 平成7年3月15日 所在地 本渡市本渡町広瀬 管理者 本渡市他 大矢遺跡は、本渡市北部の広瀬川河口左岸に形成された海抜2.5m〜3mの砂丘上にある。遺跡の範囲は約10,000m2に及び、主に縄文時代前期から後期初頭の遺物を包含し、一部に縄文時代晩期の包含層がある。今回の指定範囲は、2,863m2である。 本遺跡は、平成元年に市史編纂のための小規模発掘と平成4年に遺跡範囲確認調査が実施された。これにより約10,000点の遺物が出土した。 その主なものは、土偶・獣形土製品・岩偶・石製結合釣針の軸部・スタンプ型土製品・擦切り具・石銛(いしもり)などである。これらの遺物は、大陸や東日本の文化が複雑に影響していることを示すものである。 わが国の縄文時代の研究に欠かすことのできない学術的に貴重な遺物を包蔵した遺跡である。 |
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沖ノ原貝塚遺跡 天草市五和町二江沖の原 | |
沖ノ原貝塚は、昭和34年沖ノ原から島に送る水道の工事現場で発見された。貝塚の調査は、これまで4回本格的な発掘が行われたが、その結果、出土品は約60,000点その出土品から狩猟、漁労の道具・塩をつくる器・農耕に使う道具・工夫をこらした生活用具・おしゃれの品々など当時の生活が極めて活動的で経済力に富み、生活の豊かさが推測される。 沖ノ原遺跡が特に注目されることは、 (1)遠く縄文時代から現代まで長期にわたる遺物が出土している (2)中でも縄文前期の曽畑式・轟式土器の出土によって7,000年前に、天草に人々が住んでいたことが実証された。 (3)出土品の中で、縄文中期につくられたとされる阿高式土器(4,000〜5,000年前)の出土は、その量において日本一といわれる。 (4)塩をつくる土器が九州では最初に発見された。 (5)縄文時代から弥生時代にわたる30数体の完全人骨が出土した。これらは貴重な資料として学界にも注目されている。 |
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沖の原貝塚遺跡 発掘個所 と碑 この沖の原貝塚遺跡については、その他所の遺跡と共に 『五和町史』 編 集 五和町史編纂委員会 発 行 五和町発行 発行日 平成14年12月25日 に詳しく述べられている。 |