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散歩道 

鈴木重成公


◇鈴木重成公◇   2005/10

 今年は鈴木重成公没後350年だそうである。その鈴木重成公、今だに神として祭られ島民から慕われている、数多い天草史のなかでも稀有な人物である。いや、役人でありながら、神として慕われているのは、日本史の中でもほとんど例がないのではないだろうか。
 鈴木重成公の事跡は「鈴木重成」のページを参照していただくとして、少し私見を述べてみたい。
 何を隠そう。私は鈴木重成・正三・重辰三公を祭る鈴木神社(本社)の近くに生まれ、中学生まではその神社を遊び場として育った。毎年10月の祭りは天草各地からの参拝客や相撲大会・出店などで賑わったが、親から100円未満のお小遣いをもらって、ぼんぼんやアイスキャンディ等のお菓子を買うのを楽しみにしていたのを思い出す。
 さて、その鈴木重成公、幕府の役人であり、人民を統御する立場の人であった。今で言うところの、県知事・地裁判事・県警本部長・税務署長等の権限を持っていたのではないかと推察される。
 民主主義の今の世でさえ、政治家、役人が庶民から慕われるのはめったにない。ましてや、封建社会の世の中、庶民を統制するのが役人であったはずである。要は、目がどこに向いているかである。企業でも同じだが、お客様に向くのか、会社や組織の上層部に向くのかで生き方がぜんぜん違ってくる。江戸時代の役人はほとんど例外なく、幕府を見ていたはずである。しかし、鈴木さんはなんとか、庶民の暮らしが少しでも楽になるようにと、諸施策を実行した。そして、最後に立ちふさがったのが、封建社会といういかんともしがたい権威である。その権威に身を挺して庶民を守ったのが神として祭られている所以であろう。
 今の役人に政治家に、鈴木さんの爪の垢でも煎じて呑ませたいと思うのは、私一人ではあるまい。