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島 一春

 

あなたはつつましい野の花のように

 はなやかな色の大輪の華よりも

   私は野の花が好きです 一春

         〈辞世の句 島一春墓石の碑文より〉

 

島 一春の故郷・龍ヶ岳
この麓に実家があった
 天草が生んだ名作家、島一春

島一春は、昭和5年上天草市龍ヶ岳町(現)で、生まれた。
 村の小学校を卒業後、熊本の航空機整備士養成所に入所する。
 その後新潟の同養成所に移るが、終戦を迎えて帰郷する。その後、肥料会社や石灰採掘所などに勤務する。
 20歳で、幼馴染と結婚。
 しかし、過労から結核を患い、長の闘病生活を強いられる。献身的な妻の看護もあり、やがて回復。
 以後は、作家生活に入る。数多くの著作をしているが、代表三部作として『燃える蝶』『燃える海』『野苺の首飾り』があげられよう。また、天草探見でも取り上げている、牛深沖で巡洋艦長良沈没した犠牲者の供養碑を、自費で建てた佐々木つるさんの事をまとめた『天草灘にひびけ鎮魂の譜』もある。

 
 

◆ あゆみ

 昭和 5年 熊本県天草郡大道村(現上天草市龍ヶ岳町大道)に生まれる。
        本名 赤瀬一春
 昭和19年 熊本地方航空機整備士養成所に入所。
 昭和20年 新潟養成所で終戦を迎え、帰郷。
       八代市の小築島砕石所(石灰岩)に勤務。
 昭和24年 福岡県大牟田市の肥料会社に勤務。
 昭和26年 結婚。
       肺結核を発病。以後9年間の療養生活に入る。
 昭和30年 上京。
 昭和32年 「老農夫」が第4回地上文学賞受賞。
 昭和34年 『無情米』が第3回農民文学賞受賞。
       龍ヶ岳町町長より顕彰される。
 昭和52年 長編小説『燃える海』が第16回小説新潮賞候補となる。
 平成07年 熊本県近代文化功労者として顕彰される。
 平成08年 『のさりの山河』が第6回日本文芸家クラブ大賞受賞。
 平成11年 天草に帰郷。
 平成20年 妻フミヨ(6/11逝去)の後を追うように、6月22日、79歳で永眠。
      墓は故里大道(右写真)にある。

 島 一春の墓と時世の歌

 法名「陽春院釈暁浄」
◆ 主な作品

 『無常米(山小屋・一じょう鍋・秋の蝶・無常米・襲血・老農夫)』 南北社 昭和34年1月
 『孤島』東西五月社 昭和34年9月
 『燃える蝶』南北社 昭和42年6月
 『殉教の島天草』日芸出版
 『燃える海』家の光協会 昭和52年7月
 『天草おんな恋唄』家の光 昭和53年4月
 『産小屋の女たち』健友社 昭和56年11月
 『天草の海はみどりなり』健友館 昭和59年5月
 『天草灘にひびけ鎮魂の譜』河出書房新社
 『田のいる風景』佼成出版社 昭和60年7月
 『一万人の産声を聴いた』新潮社 昭和61年7月
 『はるかなる天の海』南書房 昭和63年7月
 『野苺の首飾り』河出書房新社 平成3年5月
 『山河に愛ありて』秀芸社 平成3年8月
 『きざまれた風光』河出書房新社 平成4年5月
 『椿坂』河出書房新社 平成5年7月
 『天草―光と風』東京FM出版
 『のさりの山河』熊日新聞 平成8年7月 
 『天草ぽんかん物語』健友館 平成8年11月
 『白い島』河出書房新社 平成9年12月
 『燃える岬(無常米・啓太の日記・矢筈の月・燃える岬)』南北社 平成11年4月
 『ひとすじの道』健友館 平成12年8月
 『故郷の愛』熊日 平成16年2月

など多数

 
 
       
 〈資料〉天草の史談と文芸22-鶴田文史編著
      天草の史学者・文学者群像(未完)同上 など