牛深の史跡


下馬刀島 (しもまてじま)   牛深市深海町 

   かつての疱瘡(天然痘)罹病者の隔離島

    対岸の深海町から見た下馬刀島。
 下馬刀島の奥の島々は鹿児島県。
 下馬刀島は、深海町の行政区で、牛深市深海町向山4769となっているようだ。
 面積は分からないが、国土地理院地図で計測したら。
 深海港からほぼ東へ3.75kmの位置にあり、すぐ西側は鹿児島県になっている。
楕円形の島で、細いところで75m、長いところで127mと、本当にちっぽけな島である。
これを単純に長方形とみなし、面積を算出すると、9,525㎡。昔の単位で表すと、約2.8町歩となる。
でも、この島は写真から見たら、平地は無く、人が住める場所は無い。
この島に、最大何人の罹患者が隔離されたのか分からないが、例え本土から食料等が定期的に支給されたとはいえ、まさに島流し状態であったことは間違いない。
しかし、当時の人を責めることはできないだろう。
疱瘡は、予防法・治療法が確立されておらず、流行を防ぐためには、罹病者を隔離する以外になかったからだ。
でも、決して罹病者を見捨てることは無く、それなりに必死に支援をしていた事は、上田宜珍日記等からもうかがい出来る。

 深海町振興会のHP
  ③下馬刀島の霊を迎える「鎮魂の碑」 / 深海の歴史 (amakusa-web.jp)
 によると、鎮魂の碑が建立され、この島で亡くなった人の伊礼をこなっているという。
   天草市指定文化財
 下馬刀島(しもまてじま)

 指定年月 昭和55年4月1日
 所有者  天草市

 天保年間(1830~43)に、天草では疱瘡(天然痘)が大流行し、多くの死者を出しました。当時は有効な治療法がなかったため、人々は伝染することを非常に恐れ、感染者を山小屋や無人島などに隔離して、病が広まるのを防いでいたといわれています。ここ深海では、この下馬刀島を「疱瘡島」と呼び、病人を島に隔離して、舟で定期的に食料などを届けていたようです。まれに全快して帰る者もいましたが、命を落として下馬刀島に葬られる者も多かったようです。今も当時の墓碑が残されています。
 平成22年3月 天草市教育委員会


 この案内板は、深海町コミセンに設置されている。