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対岳楼跡とアコウ   天草市有明町大島子



対岳楼水墨画 岸峻作 弘化元年(1884)
手前中央・対岳楼 右奥・雲仙岳  右手前・湯島       <鶴田文史氏提供>

大島子の町中を走る旧国道から海岸へ出ると、右側に巨木なアコウの木が堂々と栄えている。
ここは、もと対岳楼という、屋敷が建っていた。
対岳楼とは、その名の通り、雲仙岳を借景とした楼という事だ。

対岳楼は、弘化元年(1844)に、志柿村庄屋永野九郎兵衛(抱雪)が、三好屋宮崎家の屋敷内に建てた別荘である。
というより、抱雪は、庄屋を勤めながら、私塾を開いていた学者でもあったので、内外の文人墨客との交流の場として、建設したものであろう。
その訪ねた文人は、島原の儒者・川北温山、熊本の儒者・木下韡村、佐賀の儒者・草場珮川、安芸の儒者・頼三樹三郎、伊勢の儒者・斉藤拙堂などなど。
既に、堂々とした構えであったと想像される建物はとうに無くなっており、今は広い敷地と、アコウの巨木が、遠き日、対岳楼ありし頃を偲ばせるだけである。

 <資料> 『「天草洋』三大古詩・・・・ 天草の史談と文芸 第30号
        『史詩 史画 天草の灘』 鶴田文史 上中万五郎 天草文化出版社