与謝野鉄幹・晶子夫妻の歌碑
明治40年、『五足の靴』で北原白秋らと天草を訪れた与謝野鉄幹(寛)は、昭和7年今度は晶子夫人を伴い、再訪している。
その時の歌碑が、上天草市松島町合津のパールセンターと天草市天草町高浜の十三仏公園に建っている。
上天草市松島町合津の碑
昭和8年8月
与謝野先生夫妻
天草詠草の中より
天草の
島のあひだの夕焼けに
舟もその身も
染みて人釣る
与謝野寛
天草の
松島ここに浮かぶなり
西海のいろ
むらさきにして
与謝野晶子
与謝野鉄幹夫妻の歌碑 天草市天草町高浜 十三仏岬公園
この歌碑は、天草市天草町高浜の十三仏岬公園の絶景の見晴らし場所に建てられている。
この地は、天草一の絶景観光地といっても過言でない処だが、多くの観光客は、その絶景に見とれ、この与謝野夫妻の碑には、とんと関心がないと見受けられる。
碑の表には当然の如く、与謝野鉄幹、晶子夫妻の名詩が彫られている。
現在、こういう詩を詠んだら、何の評価も受けないと思うが、当時は詩とはこういうものだというのがあったのではなかろうか。
もっとも、私的には、こういった詩文の世界とは無縁の存在ではあるが。
《歌碑の解説文》
明治40年夏、新詩社の与謝野鉄幹、北原白秋、木下杢太郎、吉井勇、平野万里は富岡に泊り、わらじがけで大江教会にガルニエパマテルさんを尋ねた。
越えて昭和7年秋、鉄幹は晶子夫人を伴い篭でこの地を訪れ、数々の名歌を残を残した。
私たちは優れた歌人を偲ぶために、有志相計りゆかりの地にこの碑を建てることにした。
昭和41年秋
天草町観光協会
鉄幹
天草の十三仏の山に見る
海の入日とむらさきの波
晶子
天草の西高浜のしろき磯
江蘇省より秋風ぞ吹く
《註》碑文は原文を損なわない程度に修正しています。