宗像堅固の業績、「鑿河(さっか)」に対し、その功績をたたえ、村人が建てた「鑿河碑 天草市楠浦町 |
「鑿河碑」の碑文の一部 |
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宗像堅固は幕末・明治にかけて、楠浦村庄屋、戸長を務め、その間数々の功績をなした。鑿河碑に刻まれた業績を列記する。 誕生於天領天草郡楠浦村 文政2年 1819年 飢饉救助 天保8年 1837年 対栖本村漁場論調停 嘉永5年 1852年 村社諏訪宮改築 嘉永6年 1853年 方原大村有林難論勝訴 安政3年 1856年 舟津大火措置 安政5年 1858年 鑿河大難工事起工 万延元年 1860年 錦島塩田堤防竣工 元冶元年 1864年 眼鏡橋架設交通安全 明治11年 1878年 宗心寺開壇徒安全 明治13年 1880年 楠浦村戸長辞職 明治14年 1881年 逝去於熊本県天草郡楠浦村 明治17年4月25日 昭和8年3月吉日 楠浦村顕彰会 本渡市史より |
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天草市指定文化財 楠浦の眼鏡橋 指定年月日 昭和33年5月1日 |
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鑿河碑 釜の迫の堀切 | 削河碑 天草市楠浦町 |
宗像堅固第一の功績、楠浦村前潟新田釜の迫堀切り。 鑿河碑はこのほとりに建つ。 |
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1. さても珍らし 楠浦普請 長さ五町に 底五丈 上で 二十と一間に 高さ九丈の岩山を のみや小槌や玄翁や かなてこ やまぎり 雁づめの 細工に 日々 鍛治五人 六とせの末にて ようように いまでは白帆が はしりいる 2. それで田地も 倍ひろまりて たきぎ積み出し こえとりも 船で門まで積入る 田畑作物 稔り増し 百姓 次第に便利よく 肴は堀切 川筋の 新規の白魚 青のりや 其の外いろいろ 添えまして 朝から晩まで 呑みくらす 3. 春は堀切 両山岸へ 桜品々 咲くころは 吉野初瀬や嵐山 ここに来しかと思われて 高き賎しき おしなべて 船や 磯辺や 山々に 朝間夕間のさかいなく 遠ち 近ち 花見に来る人は つぼみのうちより 絶え間なし 4. 秋は川土手 楓紅をなして 龍田の詠の そのままに 風に散る葉の堀切に 流れ落ち合う錦川 うづまく水に ゆうゆうと 波のまにまに浮かみいで 四方の紅葉も色そえて 景色いやます 長堤 むかしにまさる 楠の浦 (宗像本家記録より) |
《註》庄屋宗像堅固の釜の迫堀切の詳しい事を知りたい人は「本渡市史」本渡市発行を参照されたい。 |