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ガルニエ神父 天草市天草町 大江天主堂

   ガルニエ神父は、明治18年12月来日。没するまで50余年、質素な生活に徹し、信者の教化にあたった。その間、孤児院の経営や資財を投じて昭和8年現在の大江天主堂を建立した。
 ガルニエ神父は「五足の靴」に登場する。五足の靴の旅の目的が、このガルニエ神父に会うことにもあったといわれている。神父との出会いは=「五足の靴」(13)大江村(8月22日)=に書かれている。
 一部分を紹介しよう。
 ◇ ・・・土地の人が「パーテルさん、パーテルさん」と呼ぶ敬虔なる仏蘭西の宣教師が唯一人、飯炊男の「茂助
(もをすけ)と共に棲んでいるのである。案内を乞うと「パーテルさん」が出て来て慇懃に予等を迎えた。「パーテルさん」はもう15年も此村にいるそうで天草言葉がなかなか巧い。「茂助善か水を汲んで来なしやれ。」と飯炊男に水を汲んで来させ、それから「上へお上がりまっせ」と懇ろに勧められた。・・・・◇

 神父銅像の碑文

ルドビィコガルニエ神父様は1892年天草に赴任以来50年、大江崎津教会を兼任、後大江教会主任神父として、生涯を大江の地に埋められた。その間、私財を投じ大江天主堂を建堂し、住民に対しては信者未信者の別なく慈悲をたれ、自らは弊衣を纏い、己を犠牲にしてキリストの愛を実践し信仰の燈を捧げて下された。
 この胸像は30年忌を迎えるに当たり、この偉大なる御功績を讃え、御遺徳を偲ぶと共に後世にその面影を遺し、信仰の精神振起にも資したいと念願し建立したものである。
   昭和461126
 
  ルドヴィコフ・ガルニエ神父略歴

 1860
1220日フランス国オートロアール県ルビュイ市に生まれる。
 1884年パリ大神学校卒業、司祭となる。
 18851220日、日本赴任のため神戸上陸。1892年大江、崎津教会を兼任。
 1929
年大江教会専任司祭として1942113日御逝去まで勤務さる。
    その間
1934年大江天主堂を建立。
 日本に上陸されてより
57年、大江教会50年、81歳御逝去、この天主堂に永眠さる。
  

 

  銅像は、大江天主堂にある
 
  左の写真は、
  「五足の靴」一行が訪れたころの大江教会とその前に立つ
  ガルニエ神父

 ガルニエ神父について詳しく知りたい方は、
 『天草の土となりて  ガルニエ神父の生涯』 浜名志松著 日本基督教団出版局 1987年7月25日 初版発行 をお読みください 

 五足の靴については、数多くの出版物が出されているが、
 『五足の靴と熊本・天草』 浜名志松編著 図書刊行会 がおすすめ