天草の歴史 富岡城史 富岡城は、慶長6年(1601)に天草の領主となった肥前唐津藩城主、寺沢廣高によって築かれました。その後、山崎家治の私領時代、鈴木重成・重辰代官の天領時代を経て、戸田忠昌の私領時代に城が破壊されました。それ以後はね明治時代まで天領として三の丸跡に代官役所が置かれました。 <<城内案内板より>> |
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城内に建設された四公 前列左 勝海舟 右 頼山陽 後列左 鈴木重成 右 鈴木正三 |
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城から見る巴湾 |
富岡の町並み 右手奥に苓北火力発電所が見える |
晴れた日、富岡城からはすばらしい眺めが開けます。すぐ目の前には巴湾(袋湾)が、その後ろには天草二江方面、少し右に目をやると砂州に開けた富岡の町並み、やや右手奥には苓北火力発電所が見れます。 そして、さらにその後ろは高浜方面から雄大な東シナ海。一方左旋回すると島原半島・雲仙岳。 時の為政者たちも、この雄大な景色を堪能していたのでしょうか。 しかし、このお城は、民人にとっては、いい城ではなかったようです。というよりもこの城のおかげでずいぶん苦しめられたようです。 城は決して庶民の観光の目的で建設されたものではなく、逆に戦のためにあります。戸田氏の破城も世の中が平和になり、城が必要でなくなったからに他なりません。城があるだけでも、維持費がかかり、それだけ民に犠牲になっていたためとも聞いています。 いま、私たちは復元された美しい城から、観光的に美しい風景を堪能できる幸せに感謝せずにはおられません。 |
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