歴史目次    学塾碑  寺子屋・私塾一覧表


私塾

正倫舎

宝暦10年 (1760) 御領村儒者 中村頤亭、私塾正倫舎を開設。
明和 3年 (1766) 中村隆成(天錫)、郷を出て、京大阪の諸大家の門を敲き、経学詩文を学ぶ。
明和 4年 (1767) 中村頤亭死去。
明和 5年 (1768) 中天錫、小山清兵衛の後援を得て、正倫舎を受け継ぎ開熟する。
寛政 元年 (1789) 中天錫死去。46歳。正倫舎廃絶する。
文化 元年 (1804) 小山清四郎、開塾。正倫舎を再開。 
嘉永 元年  (1848) 柏木辰五郎、正倫舎の後を引き継ぎ玉壷堂を開塾。 

中村頤亭先生の墓

   五和町御領芳證寺墓地

中天錫先生の墓

   五和町御領芳證寺墓地 

吉田東壁  「学半舎塾」   栖本・河内村       文政元年(1818) 


学半舎跡地の案内板は、民家の前に建てられているが、栖本町文化財保護委員会(旧栖本町)の標柱は実行寺の境内に建てられている。

右写真は、東壁の墓。
  学半舎跡のほほ道向かいにある、実行寺裏の墓地にある。

 「脩誉文林東壁居士  万延二年十一月廿五日 俗名 吉田佐太一義佐」 
 また、隣の吉田家の法名塔には、「昌徳院修誉文林東壁居士」と刻まれている。

 また、墓の後ろには、顕彰碑が建てられている。細かい字で顕彰の言葉が刻まれているが、判読はしていない。
さらに、53人の門人の名が刻まれている。(53名の人数についは、「図説天草の歴史」より。)




その他の私塾
 定舜上人    「隣川塾」     河浦・一町田村     天保年間
 平方権之助   「徳田屋塾」   本渡・町山口村     天保元年(1830)--明治七年(1874)
 竹添筍園    「聴松堂」     本町・本村東向寺内  安政四年(1857)              ※筍園は竹添井井(進一郎)の父

≪資料≫

 『図説天草の歴史』 鶴田文史監修
 『天草近代年譜』 松田唯雄著