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遠見岳 と 池田の池など  天草市魚貫町

   牛深には遠見山と遠見岳があるので紛らわしい。遠見山は牛深市街地のすぐ北側に位置し、遠見岳は魚貫町に存在する。ちなみに「魚貫」と書いて「おにき」と読む。
 魚貫町浦越の三叉路から細い道を走ると、やがて魚貫崎海水浴場がある。更に行くと道は行き止まりになっており、そこが遠見岳の登山口(?)である。ちょっとした駐車スペースに車をとめると、すぐそこに展望所が設置してある。駐車場脇には意味不明の段差ベンチが設置してある。
 展望所からは、南に東シナ海に浮かぶ桑島、大島などの島と瀬が望まれる。そのちょっと左側は入り組んだ茂串海岸が見える。左手下には魚貫崎レストハウスが見える。このレストハウスがある魚貫崎海水浴場は、かつて見事な白砂の海岸であったが、今は砂は流され、さびしい海岸となってしまった。また、魚貫町はかつて無煙炭と呼ばれる良質な石炭を産出したが、その面影もうかがうことはできない。
 よく整備された道を数百メートル歩くと(登ると)頂上につく。標高は224mと高くないが海に突き出ているため眺望がよく、西海の碧い海を堪能できる。まだここで夕陽を見たことはないが、きっとすばらしい落陽を眺めることができるだろう。
 また、ここはシャリンバイの丘としても有名である。シャリンバイはバラ科の潅木で5月頃白い小さい花をつける。11月末に訪れたときは、黒っぽい実をつけていた。花が咲く頃、再度訪れ写真を提供したい。
 標柱にあるように、江戸時代には遠見見張台が設けられ、異国船の監視にあたったという。頂上には、烽火台跡と見られる土盛り跡があるが、説明板もなく、注意しなければ見過ごしてしまうだろう。
 シャリンバイの丘、望洋の丘、夕陽展望台、魚見台、三日月台、千蛇台などと名前がついた場所があり、一周できる。道は整備されているところと、ただの山道のところがある。道案内や場所を示す標柱もメインにはあるが、魚見台や三日月台などの脇には設置してない。
 市街地からかなり遠い処にあるので、休日に訪れても殆ど人はいない。弁当を持参して、一日ここで海を眺めてのんびりするのもいいだろう。しかし、トイレがないのでご婦人方は困る。
 史跡に指定されている三日月瀬は、どこにあるのか分からない。
  2006年5月29日 記

 遠見岳は前出のようにシャリンバイの花が有名である。花盛りになかなか機会がなく、訪れたのはとうとうこの日になってしまった。
 やはり、花はとっくに盛りを過ぎていた。かろうじて咲いていたのを紹介する。
 しかし、その他の野に咲く花は、可憐でじっくり見ると本当に味わいがある。
 
 
   シャリンバイ。漢字で書くと車輪梅かな。
 2007年5月11日撮影
 
 
 遠見岳で見かけた草花

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 魚貫草刈り唄発祥の地 碑

魚貫草刈り唄発祥の地 碑  碑文 
   



 遠見岳見張番所跡 市指定 昭和50年6月10日 史跡

 長崎開港以来、天草近海には諸外国の貿易船が出没した。寛永18年(1641年)に当所と高浜、富岡に見張所を置いて長崎代官所へ連絡した。山頂には烽火台跡が見られる。

 大蛇伝説とあこう

 三日月瀬  市指定 平成4年12月2日 史跡

 その昔、大江の地に通う大蛇様が陸路を日輪碑によって阻まれたため海を渡るようになり、大シケで漁師が大変困るようになった。そこで、北遠見岳西岸の下鵜瀬近くにある瀬にも日輪を刻んだところ大シケの日がなくなったと言われるようになった。
 

 池田の池(大蛇池)  
   池田の池 (別名・大蛇池) (市指定天然記念物)

 外海から打ち寄せてきた砂れきによって天然に出来たもので、多少塩分を含んでいる。昔から色々な伝説が残っている。東西175m、南北330m、深さ2.8m、周囲800m

竜王宮(市指定建造物)
 
 この池に住むといわれた大蛇を神として祭ったもので、12月15日の祭日には相撲で賑わったと言う。古い碑は文字も判読できないが新しいものは、天保11年12月15日建立、久玉組大庄屋云々の文字が残っている。
 54年12月現在地に移転

 以上 案内板より