目次



天草歴史年表 
     1501年〜1600年
   五人衆時代〜江戸幕府開府まで

西暦 元号 年号   出来事
1501 文亀 1   天草一揆(志岐・上津浦・宮地・天草・長嶋・大矢野・栖本・久玉)志岐領蒲牟田で話し合う
1505 永正 2   本砥は志岐氏、島子は上津浦氏に与えられる
 河浦町益田観音寺、板碑つくられる
1530 享禄 3   天草氏、志岐氏を破り本戸城を築く。
1531 享禄 4   本渡市本渡町船の尾・尾越板碑つくられる
1532 天文 1   上津浦治種、相良氏の助けにより天草・志岐・栖本・大矢野・長嶋連合軍を破る
1533 天文 2   天草尚種を中心に、長島、志岐、栖本、大矢野合同で上津浦治種を攻める。
1534 天文 3   
1535 天文 4   
1536 天文 5   
1537 天文 6   
1538 天文 7   
1539 天文 8   楠浦立浦板碑作られる。
1540 天文 9   
1541 天文 10   
1542 天文 11   
1543 天文 12   ポルトガル船種子島に漂着。鉄砲伝来
1544 天文 13   上津浦氏、棚底城・上津浦城を降りる
1545 天文 14   大矢野に唐船着く
1546 天文 15   
1547 天文 16   
1548 天文 17   
1549 天文 18   ザビエルら宣教師が鹿児島に上陸、日本に初めてキリスト教を伝える
1550 天文 19   
1551 天文 20   天草・上津浦・大矢野氏連合して栖本を攻める 
 天草弾正左衛門尉行盛、大友義鎮に降伏する
1552 天文 21   
1553 天文 22   
1554 天文 23   相良氏天草を狙い、長島氏を出水へ追い出す。天草五人衆時代へ
1555 弘治 1   
1556 弘治 2   上津浦氏、栖本を攻め、上津浦より棚底攻藤河を破る
1557 弘治 3   
1558 永禄 1   天草より上津浦攻め、上津浦より棚底攻め、島子より下津浦を攻める
1559 永禄 2   
1560 永禄 3   栖本・上津浦戦。鉄砲が使われる栖本、上津浦両氏の間で紛争。栖本氏は天草氏、上津浦氏は志岐氏と提携。有馬義貞、大村純忠が志岐、上津浦応援のため天草に出兵。平戸の松浦隆信も栖本城攻撃に鉄砲30人を派遣する。
1561 永禄 4   
1562 永禄 5   日野江城主有馬義貞、口之津を開港。イエズス会士、同地に布教始める。
1563 永禄 6   
1564 永禄 7   小島子・下砥岐、天草氏より上津浦氏に返還する。
  日本布教長コスメ・デ・トルレス神父、口之津に布教の本拠を移す。
1565 永禄 8   天草・大矢野・上津浦三氏で志柿を攻める 
 志岐・栖本・有馬・和泉合同で島子を攻める 
 長島城主天草越前守、島津義虎に滅ぼされる
1566 永禄 9   イルマン・アルメイダが志岐にキリスト教を伝える。
 志岐麟泉洗礼を受け志岐に教会堂を建てる。
1567 永禄 10   全日本の宣教師を招集して志岐宗教会議ひらかる。
1568 永禄 11   口之津にあったイエズス会日本布教長コスメ・デ・トルレス神父、志岐に来て滞在。布教会議を開く。
1569 永禄 12   ルイス・デ・アルメイダ、河内浦にキリスト教布教。仏教徒との紛争起こり、大友、島津両氏の勢力を背景として天草氏のお家騒動に発展する。
1570 元亀 1   志岐宗教会議(全日本宣教師会議)でカブラル日本布教長となる。
 トルレス神父志岐で昇天する。
1571 元亀 2   志岐麟泉棄教。
 天草氏、嫡子や多くの家臣と共に洗礼を受く。これより河内浦はキリシタン伝導の拠点となる。
1572 元亀 3   
1573 天正 1   室町幕府滅亡。
1574 天正 2   このころ天草鎮尚、島津義虎と不仲になる
1575 天正 3   天草鎮尚、授洗。日本布教長フランシスコ・カブラルに授洗。教名ドン・ミゲル。
1576 天正 4   天草鎮尚、島津氏と和睦。
1577 天正 5   
1578 天正 6   
1579 天正 7   天草鎮尚、島津氏の麾下にはいる。
  イエズス会の巡察士アレキサンドロ・ヴァリニアーノ、口之津に来航、全国宣教師会議を開き、日本布教の大方針を決定。
1580 天正 8   島津氏と竜造寺氏の戦いに天草衆参戦。
 このころ、天草鎮尚の領地でキリシタン1万5千人を数える。
1581 天正 9   志岐氏、竜造寺隆信に服属
 天草刑部大輔、相良義陽に従い響原に戦死する
1582 天正 10   天草鎮尚没。
 大矢野種基、島津義久に降る。
 遺欧少年使節長崎を出航する。
 本能寺の変
1583 天正 11   アルメイダ、河内浦にて没。
1584 天正 12   
1585 天正 13   志岐・上津浦・栖本・天草・島津に従い島原半島に出兵竜造寺軍と戦う
1586 天正 14   
1587 天正 15   天草久種等天草五人衆島津に従い大友氏と戦う
 天草五人衆秋月で秀吉に降伏し、佐々成政の与力となる
 秀吉、バテレン追放令を出す。
 禁教令後、天草久種自領内でキリシタン保護・大矢野種基、一族家臣2731人と共に入信。
1588 天正 16   佐々成政失脚(切腹)し天草五人衆小西行長の支配下に置かれる。
 鈴木重成生まれる。
 ノビシアド(修練院)、河内浦に設置さる。遺欧4少年ノビシアド入所。
 河内浦で疫病大流行。                                                河内浦城
 秀吉が大矢野種基に小西行長合宿を命じ、1755石をあてがう。
 天草久種、小西行長より6785石をあてがわれる。
 天草でも太閤検地行われる。
1589 天正 17   6/15フロイスが本戸に滞在する。
 8/1行長天草諸豪に宇土城普請役を命ずる
 9/22天草合戦始まる
 11/5 〃    ・木山弾正加藤清正に討たれる
 11/8志岐城陥落
 11/25本渡城陥落、天草伊豆の守討死・天草は完全に小西行長領となる
 栖本氏キリスト教入信。
 河内浦のノビシアドが大村に移される。
1590 天正 18   1/14上津浦氏入信
 6/20遣欧少年使節長崎に帰還
1591 天正 19   イエズス会派宣教師養成の神学校(コレジオ)天草学林が建てられる。
 文禄の役、天草諸豪も行長に従い渡海。
 遺欧少年使節、聚楽第で秀吉に謁見。
 行長と天草久種の和解が室の津で成立。
1592 文禄 1   文禄の役
 コレジオにおいて、平家物語やイソップ物語、羅萄日辞典など29種の本(グーテンベルグ印刷機)を出版
 梅北一揆起こり、栖本親高死す
 寺沢広高、長崎奉行に任命さる
1593 文禄 2   河内浦にあったコレジヨが一時河内浦・大江・久玉に分散される
1594 文禄 3   
1595 文禄 4   広高、洗礼を受ける
1596 慶長 1   
1597 慶長 2   コレジオ、長崎に移る
 慶長の役・大矢野種基父子、栖本道隆順天で戦死
 広高棄教、迫害者へ
1598 慶長 3   8/18豊臣秀吉没
1599 慶長 4   
1600 慶長 5   関が原の戦い・行長は京都で処刑され、天草は加藤清正領となる
 天草久種、小早川秀秋に属し備前に移る

天草歴史年表 -1500
天草歴史年表 1601-1867
天草歴史年表 1868-