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天草の歴史年表 
  1500年以前

西暦 元号 年号     出  来  事
600   このころ、土器を使って、天草各地で製塩が行われる
645 大化 1   大化の改新
710 和銅  3    平城京遷都
712 和銅 5   古事記に両児島・天両屋の名がある
744 天平 16   大雷雨・地震多くの死者が出る
  八代、天草、葦北三郡の官舎並びに田290余町、民家470余区、人1520余人水に漂没、山崩れ280余箇所、圧死者40余人の被害を受ける(続日本記)(天草島鏡)
778 宝亀 9   遣唐使大伴宿弥一行天草郡西仲島に漂着する
794 延暦 13   平安京遷都
873 貞観 15   渤海船が天草に漂着する
885 仁和 1   新羅船が天草に漂着する
886 仁和 2   新羅国使徐善行ら天草郡に来航したが不調 
 和名抄の天草郷に波太、天草、志岐、恵家、高屋5郷あり
935 承平 5   天草郡に「波太、天草、志記、恵家、高屋」の五つの郷名が記される
1192 建久 3   鎌倉幕府開府。
1205 元久 2   志岐光弘鎌倉幕府より郡内6カ浦の地頭に任ぜられる
1220 承久 2   ※この頃河内浦に天草氏、大矢野氏、宮地氏(天草氏の分家筋)出現
1233 天福 1   天草種有、本砥島地頭職を播磨局にゆずる
1260 文応 1   播磨局、亀川に来迎寺を建てる
1274 文永 11   文永・弘安の役に大矢野、天草、志岐氏ら出陣 (〜1281年)
1281 弘安 4   弘安の役、大矢野種保・種村ら参戦し活躍する
1300 正安 2   ※この頃天草氏志岐氏によって滅ぼされる     志岐城
1313 正和 2   本砥島の地頭職、志岐景弘に与えられる
1329 元徳 1   志岐弘円と宮地村地頭仏意の争い(〜1330年)
1333 正慶 2   鎌倉幕府滅亡
1334 -     建武の新政
1337 -     山鹿(志岐)隆弘は北朝方、河内浦(天草)三郎は南朝方に立ち争う  
1338 暦応 1   足利尊氏、室町幕府開く
1340 3   ※この頃上津浦氏登場。
1348 4   ※この頃河内浦氏天草氏を称し出現。
1350 観応 1   山鹿(志岐)隆弘、足利直冬の求めに応じ馳せ参ず
1353   2   志岐隆弘、肥後詫磨城・筑後飯盛城攻めに手柄をたてる
1358   3   倉岳町棚底(大権寺)に明俊塔できる
1365   4   天草種国、玉名広福寺に誓紙を納める
1368 応安 1   足利義満征夷大将軍
1370   3   島子・志加木を詫磨氏が支配する
1384 至徳 1   志岐又次郎、上津浦上総介・長嶋伊豆守等犬追物に参加する
1385   2   今川仲秋上津浦を攻め、又志岐城を攻め落とす
1399   6   志岐高遠、菊池武朝から本戸を与えられる
1404   11   本渡市亀川古寺に妙永禅尼塔ができる
1442 嘉吉 2   竜ヶ岳大道東浦に心田了公・座元禅師塔ができる
1450 宝徳 2   ※この頃栖本氏、久玉氏が出現
1467 応仁 1   応仁の乱
1487 長享 1   栖本町河内小ヶ倉に磨崖仏つくられる


1501年から1600年まで
1601年から1867まで
1868年以降