天草西海岸 歴史と景観 | |
天草西海岸は東シナ海に面し、風光明媚な景色が売り物である。頼山陽が「雲か山か呉か越か」と絶賛した天草灘の美しさと雄大さは、日本三景にも勝るとも劣らない。 藍より青い海。打ち寄せる白い波。奇岩と松。水平線に沈む夕日。訪れる観光客はそのあまりにも美しい景色に言葉を失う。 更にここはキリシタンなど、史跡の宝庫である。弾圧にもめげず、密かに伝え続けられた隠れ切支丹。当事者には申し訳ないが、それだけでもワクワクするような史的感動を覚える。大江天主堂や﨑津教会などで敬虔な祈りを捧げる人々の中に、今もその歴史は連綿と続いている。 明治の末には五人の若者が天草を訪れた。「五足の靴」である。彼らの天草紀行が、日本文学に新しい道を切り開いたとも言われている。 自然美・歴史的遺産・文学的遺産、よだれが出そうな天草西海岸にようこそ! |
絶景天草西海岸写真集 | 与謝野鉄幹夫妻の碑 |
頼山陽碑 | 遠見番所 |
林芙美子碑 | 妙見浦 |
大江天主堂 | 十三仏﨑と白鶴が浜 |
﨑津教会 | 椿公園 |
五足の靴文学遊歩道 | 牛深の自然 |
五足の靴記念碑 | 海水浴場 |
琉球王使節漂着 | 旧高浜焼窯跡 |
﨑津諏訪宮の鳥居 | 伊能忠敬・松平定信宿泊の地 |
海のマリア像 | 高札 |
崎津諏訪宮の天草最古の鳥居 天草市河浦町崎津 | ||
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境内の鳥居は1685年(享保2)に建てられ、現存するものでは天草最古。鳥居に当時の庄屋・吉田新左門ほかの苗字が刻まれ、鳥居と同時代の横の手洗石にも当時の村民の名が見られる。 |
海のマリア像 天草市河浦町崎津 | ||
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漁師の中にキリシタンが多いことから、崎津・富津地区の信者と崎津教会の協力で建立された。白亜の像に向かって、漁師は出漁の際に胸で十字を切り、大漁と安全を祈願しており、信仰の対象となっている。 注意** 海のマリア像は道路からは見えません。 見るためには海に突き出た崖を伝っていく必要があります。危険ですので、十分注意してください |
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伊能忠敬・松平信綱宿泊地 天草市河浦町一町田 崇圓寺境内 | ||
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伊能忠敬は、大日本沿海與地図作成の為、文化7年(1810年)10月3日から4日まで河内浦一帯の測量と、河内浦古城跡で天体観測を行い、その前後天草に56日間滞在したという記録があります。 征討使江戸幕府老中松平伊豆守信綱は、島原天草の乱の後この地の重要性を考えて、視察に訪れた際、天草三郡代(河内浦・本戸・栖本)の一つである河内浦郡代役所に宿泊しました。 |
高札 天草市天草町高浜 寿芳窯(上田家)内 | |
高札は、人目につきやすい場所に制禁の條目、及び法令等を板札に墨書し掲示したものです。ここに掲示された高札は、公儀(幕府)高札、異国船高札、切支丹高札、火付高札、浦々高札などがありました。なお、高札は、幕府の権威を誇示する手段でもあり高札場を人々が通る時は、「ひざまずき通行仕まつるべき候」と通達されておりました。 天草町教育委員会 ※ 実際の高札は、各地の資料館に展示してあります。 |